
高山羽根子朗読会
2019年3月17日(日)

高山羽根子 (たかやまはねこ)
<プロフィール>
高山羽根子(たかやま・はねこ)
1975年、富山県生まれの小説家。
2009年、「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞の佳作を受賞し、デビュー。
2014年、短編集『うどん キツネつきの』(創元日本SF叢書)を刊行。
2016年、「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞の大賞を受賞。
2018年、短編集『オブジェクタム』(朝日新聞出版)を刊行。同年、豊崎由美が単独で決める「鮭児文学賞」(北海道新聞プレゼンツ)を中篇「オブジェクタム」で受賞。「オブジェクタム」は第39回日本SF大賞にノミネートされている(結果発表は2月24日)。
2019年、「居た場所」で第160回芥川賞候補に挙がる。初のハードカバー『居た場所』(河出書房新社)を刊行。
書かない作家は素敵だ。台詞で登場人物の気持ちを何もかも明かさない、状況説明を細かくしない。書かない作家の作品を読むと、どんどん想像がふくらむ。書かない作家の作品について読んだ人と話をすると、思わぬ発見がある。書かない作家の作品は、だから読んだ人の数だけ存在する。
そんな作家の一人が高山羽根子。中篇「オブジェクタム」は、読者の読解力と想像力を信頼した上での、いい意味でのわかりにくい語り口が素晴らしい作品だと、わたしは思っています。
物語は、ひとりの青年・中野サトがレンタカーを走らせて、小さい頃に住んでいた町を目指している場面から滑り出します。
サトが思い返すのは、祖父(じいちゃん)の静吉と秘密基地のようなテントで、〈カベ新聞〉を作っていた頃のこと。〈この町のたくさんのデータを集める。単純な数字がつながって関係のある情報になり、集まって、とつぜん知識とか知恵に変わる瞬間がある。生きものの進化みたいに〉と、じいちゃんがその意義を語る新聞は、月1回の割合で更新され、町内の決まった十数か所に貼り出されるものの、誰がどうして作っているのか町の人たちは知りません。
と、これだけの話なら、少年時代の特別な体験を甘やかに懐かしく回想するだけの小説かと思うかもしれませんが、そうじゃありません。サトは、今では流通していない昔の千円札を持っていて、どうやらそれを元あった所に戻すために、故郷の町を訪れたらしいのですが、しかし、じいちゃんとの思い出とその旧千円札がどう関わっていくのか。読者は首をひねりながら読み進めていくことになるんです。
青年サトがテントに隠されている箱の中に千円札を戻す現在進行形の物語の合間に挿入されるのは、少年サトが新聞だけにとどまらない祖父の秘密に触れていくことになる過去の物語です。
父親から恒常的に暴力を受けている姉妹と、問題を抱えた子供たちの避難先となっているお寺の住職。祖父の古くからの知り合いである印刷所の渋柿老人。かつて町にやってきた移動遊園地。みんなに内緒で、フランスに実在した郵便配達夫シュヴァル(知らない人は調べてみて。調べれば必ずやもっと知りたくなる興味深い人物なので)のように、どこかに石を運んでいた祖父。
さまざまな人物とその謎が、あるとてつもなく美しい光景と、昭和の昔に起きた事件によって焦点を合致させた時生まれる感動は、滅多に味わうことがないほど斬新で深いんです。〈夢のようでしたよ〉、サトの父親が子供の頃に町にやってきた移動遊園地を思い出して、渋柿老人がもらすこの言葉を、読後、独りごちてしまう。短い物語なのに、とても遠いところまで連れていってくれる稀有な1篇。
謎の核心に一直線に突き進む、わかりやすい小説ではありません。少年時代のサトが、みんなにバレないよう、複雑な道筋でじいちゃんのテントにたどりついたごとく、この物語もまた、遠回りして遠回りして、ついたり離れたりしながら、じいちゃんの秘密に迫っていきます。そうしたサトの近くなったり遠くなったりする声に、首をひねりながらついていく過程が至福の小説なのです。
第160回芥川賞の候補に挙がった『居た場所』の書かなさ加減もなかなかです。
語り手は醸造業を営む家業を継いでいる〈私〉。妻の名は小翠(シャオツイ)。島民がみんな小柄な体型をしている異国の島の出身で、介護の実技実習留学で〈私〉が住まう町にやってきました。2人を引き合わせたのは〈私〉の母親。一人で来日した小翠を気づかい世話をしているうちに、彼女のことが気に入って、それとなく息子に──という経緯があっての結婚でした。
そんな小翠が、初めて一人暮らしをした港町を再訪したいというので、〈私〉も同行することに。廃墟になってしまっている集合住宅の、かつて住んでいた部屋にたどりつくと、人のものとは思われぬ〈彼女の声でなく、まただれかのひとりの声でもなく、彼女の中にいくつものなにかがい〉るようなうめき声と共に、ゼリーみたいな黄緑色の液体を吐き出す小翠。舐めてみると無味無臭だったのですが、〈体内に侵入してきたものを全身の細胞がいっせいに拒絶するようなものすごいめまいがして〉、〈私〉の身体は動かなくなってしまいます。
それは、小翠が語った子供時代のエピソードを読者に思い起こさせます。 彼女が通っていた小学校で遺跡が出土した時のこと。小翠と友達が夜こっそりしのびこむと、半分土に埋もれた壺を発見。島民が食用にしているタッタという生きものが割れた壺から漏れている何かをなめているのを見た小翠は、壺をひとつ持ち帰るんです。ところが、中の無味無臭の液をなめてみたら、翌日、耳から黄緑色の汁が出てきて──という奇っ怪なエピソード。
そんなことが起きた翌日、訪れた博物館で遺跡で発見されたミイラを見ると、小さな小翠よりさらに小さくて、解説によれば彼らはあるとき、突然集落ごといなくなった〈消えた入植者〉だったということがわかります。
得体の知れない液を舐めて身体に異常をきたしても、大騒ぎしない小翠と〈私〉。自分の居た場所の地図化にこだわる小翠。謎の入植者。タッタ。無味無臭の液体と黄緑色の粘液。書かない作家は、この小説でもそうした読者が知りたがるポイントに関しては言葉を費やしません。
キーワードは〈微生物〉で、読者はそれを頼りに、想像を働かせることになります。いくつもの物語を加えていくことになります。それが愉しい。SFとも、自分という存在をめぐる思弁小説とも、ホラーとも読めて、しかし、「読めた」気がしない、不思議な心地。読後、高山羽根子という微生物に我が身を乗っ取られたような不穏な気持ちになること請け合いです。(文責・豊崎由美)
美術のおまけ

開催日時
2019年3月17日 日曜日 18時開演(17時開場)