朝吹真理子

「TIMELESS」

朗読会

2018年5月19日(土)

朝吹真理子(あさぶき まりこ)

1984年、東京生まれの小説家。

2009年、「新潮」10月号に、『流跡』を発表。

2010年、第20回Bunkamuraドゥマゴ賞を受賞。

2011年、第144回芥川龍之介賞を『きことわ』で受賞。

2016年、「新潮」1月号で長篇『TIMELESS』の連載を開始(2018年6月29日に、新潮社から刊行予定)  

 朝吹真理子の登場は、日本文学界におけるザワつく事件でした。

 何かの新人賞を受賞したわけでもない、(父に詩人の朝吹亮二、大叔母に翻訳家の朝吹登水子を持つ血筋ゆえに業界内ではすでに知られた存在ながらも)一般人にとっては無名の人物の小説が、老舗文芸誌に掲載されたというだけでも異例なのに、そのデビュー作が堀江敏幸によってドゥマゴ賞を受賞してしまったのですから。

(ドゥマゴ賞とは、1933年、文化人が集うパリのカフェ「ドゥ・マゴ」で生まれた文学賞の、斬新な作品に授与するという精神を受け継いで、1990年に創設。前年7月1日から当年7月31日までに出版された、単行本または雑誌等に発表された日本語の文学作品の中から、毎年9月、たった1人の選考委員によって受賞作が選ばれる)

 業界雀騒然。卑しい憶測も乱れ飛んだものですが、実際に受賞作を読めば、歪んだ口元も引き締めざるをえなかったはずです。

 主人公は本からはみ出した言葉。言葉は、まず男になって、異界をさまようことに。舟に乗るはめになった男は、よからぬヒトやモノを運んで日銭を稼ぐようになります。ところが、次元がずれては舟をどこかへ連れ去ってしまう闇夜の川で、男もまたもとの水脈から切り離されてしまうのです。やがて流れ着いた島は、実は巨大な鰻の背で──。

 と、ここまでなら幻想譚として読んだわかった気にもなれるのだけれど、白い紙から流れ出た文字は、その後、〈死んでいないし生きていない〉存在と化し、雨の日に煙突を幻視するサラリーマンの意識へとするりと入りこみ、大きな金魚らが踊って笑う祝祭的な空間を出現させたかと思うと、今度は女へと姿を変えてしまうんです。

 読みながら浮かぶたくさんの「?」に、作者は一切答えません。意味の伝達という散文に課されたくびきから解き放たれ、刻々と生まれ、跡を残していく美しい言葉たちの自由こそを堪能すべき作品なのではないか。理解力の乏しいわたしですが、このデビュー作がとんでもない化け物だということだけは直感できたのでした。

 朝吹真理子をめぐるザワつきは、まだ続きます。なんと翌年には、2作目の中篇小説『きことわ』が芥川賞の候補に挙がり、そのまま受賞してしまったんです。しかも、同時受賞者は西村賢太。折しも、受賞会見がニコニコ生放送で中継されるようになっていて、この「美女と野獣」コンビに一般読者も騒然。大森望との仕事「文学賞メッタ斬り!」で長年同賞のウォッチングを続けているわたしも、ずいぶん楽しませていただきました。

 受賞作の主人公は、別荘の持ち主の娘・貴子と、別荘管理人の娘で7つ年上の永遠子。かつて夏を共に過ごしたこともある幼なじみの2人が、別荘の処分をきっかけに25年ぶりに再会する、『きことわ』はただそれだけの物語です。

 でも、その中にどれほど深い時間が流れていることか。海に遊びに行った帰りの車の中でふざけあった幼い時間が、大人になった現在の時間に淡く重なる。カップラーメンができるのを待つたった3分の時間が、5億年以上も前から現在へと至る地球の歴史と同化してしまう。

 記憶の中で止まっていたり、先祖から連綿と受け継がれてきた血の中に流れている時間。感じ方ひとつで「瞬間」になり、「永遠」にもなる時間の不思議を、2人の少女/女性のやりとりを通して浮かび上がらせる、これは見た目よりもずっと大きな物語なのです。

 ところが、その後、小説家としての朝吹さんは沈黙してしまいます。そして、5年が過ぎた2016年、ついに文芸誌「新潮」1月号に長篇『TIMELESS』の連載第1回が掲載されたのです。

 「本の場所」に朝吹さんをお招きするのは2回目。〈もしまたべつの生きものとしてこの世にあらわれねばならないとしたら、なにに生まれたい〉という一文で始まる新作からの朗読、執筆にまつわる話などを聴かせていただけるのではないでしょうか。期待しています。

(文責・豊崎由美)

​美術のおまけ

開催日時

2018年5月19日 土曜日 18時開演(17時開場)

ゆっくり展示美術をご覧いただけるよう、1時間前の開場です。

お知らせ

 

多数の予約お申込みをいただきました。

予約受付を締め切らせていただきます。

ありがとうございました。