
華雪朗読会
2017.3.17(金)

書家。1975年、京都生まれ。92年より個展を中心に活動。「文字を使った表現の可能性を探ること」を主に、
国内外でワークショップを開催。舞踏家など他分野の作家との共同制作も多数。
近年は「高橋コレクション」はじめ、現代美術の場でも作品を発表。
刊行物に『静物画』(2001年、平凡社)、『石の遊び』(2003年、平凡社)、『書の棲処』(2006年、赤々舎)がある。
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三歳下の妹がいる。妹が小学校に入るとき、言葉の発音が未熟だと診断され、「ことばのがっこう」という発音の矯正施
設に通うことになった。
「ことばのがっこう」は隣町の小学校に併設されていた。指定された土曜日の午後、いつもの学校に通うのとは違う竹薮
沿いの道を、母と妹、それからわたしとで、口数も少なく連れ立って歩く。「ことばのがっこう」の文字がカラフルに工
作された看板の掛かる部屋の扉を開けると、淡いピンク色のポロシャツを来た女性がやさしそうに微笑んで迎えてくれた。
逆光のせいで翳った室内には知育玩具があちこちに並んでいる。その部屋の片隅で小さな机を挟んで女性と妹は向き合っ
て座っている。わたしと母は窓辺にある椅子に座って、様子を見ていた。女性は机にひらがなの五十音が書かれたボード
を出すと、これを読んでみてくださいと妹に言った。次々に指差されるひらがなを見て、妹は聞き慣れた声で「あ」とか
「さ」と答えている。ふいにわたしは女性と目が合った。
ちょっとおねえちゃんもやってみましょうか。妹が座っていた小さな子ども用の椅子に座る。そして妹がやっていたよう
に、次々と指差されるひらがなを発音する。「さ」、「た」、「き」、「か」、「ち」。ちょっと待ってくださいね、女
性はそう言うと、ふたたび指差しをはじめた。「い」、「き」、「し」、「ち」、「に」、「ひ」、「み」、「り」。「き」、「し」、「ち」。さっきまで微笑んでいた女性の顔はいつのまにか強ばっていて、お母さん、少しこちらへと言うと、神
妙な声で、おねえちゃんの方が問題があるようですね、と言った。
わたしたちの発音の問題は母の話し癖のせいだということにその後落ち着いたのだが、以来、国語の時間に朗読するよう
言われると、「き」と「し」と「ち」が現れるたびに緊張するようになった。緊張すると、声が小さくくぐもる。「聞こ
えへん」と無邪気に騒ぎ立てる男子の声にますます緊張する。
「き」と「し」と「ち」が発音しづらいことは今も変わりがない。朗読はだからずっと苦手だ。
豊崎さんから朗読と字を書くことを合わせてやってみないかとこの度誘っていただいた。
発音することは苦手だけれど、字を書くことは声を出すことに似ていると長い間思ってきた。強弱や抑揚、速さといった
書きぶりということばで表わされるそれらは、声にも通じる。
幼い頃から15年近く通った書の先生は、字を書こうとするときに、その字をどう書くかということよりも、なぜその字を
書きたいと思ったのか、字を書きたいと思う前に“わたし”になにがあったのかをいつも問うひとだった。
同じ字を繰り返し書く。書きながら、どうしてその字にたどり着いたのか。それまでの時間を振り返り、確かめる。太い
線、細い線、紙からはみ出したり、うんと小さく書いてみたりと試しているうちに、あ、あのことだ、あのことを書きた
いのだ、と気がつく。そして、字を書きたいと思ったきっかけを確かめようとすればするほど、そこにいる自分の知らな
い、思いがけない、もしかしたら見たくない“わたし”を見ることになる。書き続けていると、ああ、これだと思う“字”
が現れるときが来る。
字を書くと、そこにいろんな“わたし”が現れる。
声を出さない代わりに、書きぶりに声を重ねてきたのかもしれない。そんなふうにこれまで思ってきたことを、この場で
ひとつのかたちにできたらと思う。
華雪
◆作品について
『癖のある靴―山之口貘詩より』(和紙、墨 2014年)
癖のある靴 山之口貘
投げて棄てた吸殻の/火を追って/靴がそれを踏んづけたのだが/
おもしろいことをする靴なのだ/いつもの癖で/止むを得なかったにしても/
巷は雨でぬれているのだ