
絲山秋子朗読会
2017.1.21(土)

絲山秋子 (いとやまあきこ)
1966年11月22日、東京都生まれ。2006年から群馬県高崎市在住。
2004年から、1年間に読んだ本の中でもっとも面白かった作品を「絲山賞」としてブログで発表しているが、個人的に快哉を
叫んだのは木下古栗の『いい女vs.いい女』に授賞した第7回。古栗を公的に評価した作家は絲山さんが初めてだと思う。
2003年 『イッツ・オンリー・トーク』で第96回文學界新人賞を受賞して小説家デビュー。
2004年 『袋小路の男』で第30回川端康成文学賞を受賞。
2005年 『海の仙人』で第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞し、『沖で待つ』で第134回芥川賞を受賞。
2016年 『薄情』で第52回谷崎潤一郎賞を受賞。
云うまでもなく、文学賞はいわばオマケのようなものであって、文学そのものの価値を上げたり下げたりするものではない。
実際、絲山さんが文学賞から遠ざかっていた期間にも、素晴らしい作品は多々ある。たとえば──。
読者の想像力を信頼した、説明を極力排するミニマムな語り口によって、逆に深まっていく登場人物への感情移入。
絶妙なタイミングで放たれる方言がかもす親密な空気。三人称と一人称の間で行われる視点移動の巧みさ。
飲酒癖が昂じてアルコール依存症になってしまった28歳の青年の〈ああ、容易じゃねえなあ〉という年月を描く中、
読みやすいのでうっかり見過ごしてしまいそうだけれど、驚くほど見事な小説の技巧が凝らされている『ばかもの』。
元職業革命家の〈おれ〉こと江崎正臣を語り手にした一人称の中篇小説と、その中で正臣がしきりに気にかける
〈あいつ〉を主人公にした三人称の短い作品という、異なる語りで互いを補完しあうふたつの物語を収めることで、
小説が他者の言葉を取りこむことで豊かになっていく芸術ジャンルなのだと改めて認識させてくれる『エスケイプ/アブセント』。
太陽と溶け合った海に永遠を見つけたアルチュール・ランボー、太陽にそそのかされて殺人を犯すカミュ『異邦人』のムルソー、
太陽や海、動物たちとの交感を通して〈時間はだんだんに縮小する。時間のこだまはだんだんに短くなる。
支えを取り外されてしまった秤の運動のように、以前の一年は急速に一月となり、一月は一時間、一秒、四分の一秒、千分の一秒となり、
ついで突然、一挙に無となる〉(豊崎光一訳)境地へと至る、ル・クレジオ『調書』のアダム・ポロ。
どこに居てもなじめない。マジョリティの価値観から逸脱してしまう。おさまりが悪い。居心地が悪い。
そんな「よそ者」文学の系譜に連なる『不愉快な本の続編』。
団塊の世代にあたる初老の男性主人公を、日常を逸脱したスケールの冒険へと無理矢理連れ出すことで、
戦前から戦後、現代へと至る日本人の精神の変容を問い、誰もが誰かの血をひく存在としての人間のありようと向かい合う『末裔』。
収録7作品のいずれも、東日本大震災を直接扱っているわけではないにもかかわらず、どの作品も、あの日以降の世間の空気のようなものを
伝えて剣呑。3・11以降に醸成された胸をざわつかせる不穏な空気を、さまざまなタイプの市井の人の声を借り、深刻ぶることなく、
時に笑いをともなわせながら描いた短篇集『忘れられたワルツ』。
などなど、華々しい受賞歴よりも、作品そのものの魅力によって多くの小説好きの支持を集める小説家が、どんな声で自作に命を吹き込むのか。ラジオ高崎で2本のレギュラー番組を持つだけに、その肉声とお喋りに接するのが楽しみでならない。(文責・豊崎由美)
美術のおまけ


