
戌井昭人朗読会
2016.12.17(土)

戌井昭人 (いぬいあきと)
1971年生まれの小説家、劇作家、俳優。
1997年にパフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」を旗揚げ。
2008年、「新潮」に発表した『鮒のためいき』で、小説家デビュー。
2009年に『まずいスープ』で第141回芥川龍之介賞および第31回野間文芸新人賞の候補に挙がる。
2011年『ぴんぞろ』で第145回芥川賞候補、2012年『ひっ』で第147回芥川賞候補に。
2013年、第149回芥川賞候補になり落選した『すっぽん心中』で、第40回川端康成文学賞を受賞。
2014年に『どろにやいと』が、第151回芥川賞と第36回野間文芸新人賞の候補に。
2016年、『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第38回野間文芸新人賞候補。
と、上記の略歴を見ていただければわかるように、発表した作品の多くが芥川賞、野間文芸新人賞という
新鋭を対象にした文学賞の候補に挙がりながらも、その都度落とされてきたのが戌井昭人という作家なのである。
ところが一方で、短篇作品が対象ゆえに受賞が難しいとされる川端賞はあっさりすんなり受賞してもいる。
そういうところが、「らしいなあ」と、わたしなんかは思ってしまう。
というのも、戌井昭人の小説がまとう空気は、芥川賞という、いい意味でも悪い意味でも
若々しさを求めがちな賞にはしっくりこなくて、人生のある一瞬をうつしとる切れ味や、
味のある表現を評価する川端賞のような大人の文学賞のほうが相性がいいからだ。
思えば、戌井昭人はデビュー作からずっと、小説の中に必ずダメ人間を登場させてきた。
ダメな人が、「なんで、それやっちゃうのか」というダメなことをしでかして、ダメの深みにはまっていってしまう。
ダメな人が、ダメな状況を改善しようという意志を見せることなく、日々だらだらと生きてしまう。
人外を生きるアウトローといえばカッコイイし、芥川賞にもしっくりくるかもしれないけれど、戌井作品に出てくる男や女は、
そんな明確な意志をもってこの世の際から足を踏みはずしてしまうわけではない。
易きに流れたり、一生懸命は一生懸命でも的はずれな懸命さによって知らず知らず道をはずれてしまう、
そんな行き当たりばったりなアウトローぶりを見せるのだ。たとえば、最新短編集『酔狂市街戦』を開いてみればいい。
あくどいことをやってのし上がった社長の運転手をしている男をめぐる奇譚「青鬼」。
大学時代に芝居をはじめてから、ぱっとしないまま50歳を迎えようとしている〈わたし〉の来し方と現況を哀愁漂う
「ですます」調で描く「カナリア」。
結成初期こそ少し注目はされたものの、最近はライブをしても身内しか来てくれなくなったバンドのメンバーが、
ぐでんぐでんに酔っぱらった挙げ句、京都を舞台に妄想の市街戦を戦う表題作。
音楽だけでは生活ができないので、素人向けのサックス教室を開いている30代の男を主人公にした「川っぺりらっぱ」。
4作品それぞれに趣きや味わいが異なっていて、「ダメ」のありようとそこから見える光景が鮮やかなのだけれど、
なかで「川っぺりらっぱ」がとりわけ素晴らしい。大学生の時に知り合った破滅型ミュージシャンの布田に誘われて、
フリージャズの世界に飛びこんだ広沢。
そんな広沢の教え子3人──ジャズピアニスト志望で、ジュリアード音楽院に行くと宣言している小学5年生男子の田んぼくん、
会社でいじめにあっている神経症気味のOL・早苗さん、定年退職後に趣味探しをしている男性・竹島さん。
広沢の父と後妻のみんちゃん、ワイルドな姉・ミキ。前歯が1本ない広沢をはじめ、すべてのキャラクターが、ちゃんと生きて動いて
考えて喋るこの小説の中には、愚者に聖性が宿るように、くだらなさの中に真実の灯りがぽっとともる瞬間がいくつもあるのだ。
戌井昭人のダメな人に向ける眼差しは優しい。面白がりかたに愛がある。
「芥川賞5回落選!」と、この短篇集の帯には記されているけれど、それがなんぼのものか。
芥川賞という若々しい器からは、ハミ出してしまうほどの、人間を見る目の大らかさがこの作家最大の美点なのだ。
その美点のほうが、一文学賞なんかよりもずっと大切なのだ。(文責・豊崎由美)
美術のおまけ


