
「曾我蕭白肉筆画展」
南伸坊×伊野孝行
2016.6.3(金)・6.4(土)









奇異極まりて、、蕭白!
円山応挙を筆頭に沢山の絵師達が活躍した江戸時代半ばの京都は、
一つのものに絶対的価値を置こうとしない多様を認める日本人の好奇心が頂点に達し、文学も美術も一斉に開花していました。
主観を重んじた南画に対して、客観的な写生を重んじたのが円山応挙、
その時代誰もが師匠に付いて絵を学んだなか、蕭白は群れを嫌い独学で画を探求し続けた人物です。
さてその画は、型破りで破天荒、見る者の神経を逆撫でするような強烈な印象を与え、
一見理不尽で無節操にも見える悪魔と天使が同居したような奇想の画風です。
それは画技を通じて的確に対象化できる者だけに出来る仕業です。
それを成立させる為の細密で精確な描写能力と形の歪への敏感な感性、構図における大胆で完璧な空間把握と量感表現、
それらが独創(独学故の自分一人の感性)と融合し強烈な美と不安定さを生み出し見る者に脅威を与え画に引きずり込んでいきます。
その奔放なエネルギーに満ちた作品を前にすると、痛々しいほどの孤高の人と思えてなりません。
蕭白はその作品と同様に実生活も可也奇行の目立つ無頼漢だったようで、その傲岸不遜な態度・言動は多くの逸話を残しました。
室町時代の絵師・曾我蛇足の十世を自称してみたり、中でも代表的なものに、
「画を望まば我に乞うべし、絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」があります。
要約すれば「画が欲しければオレのところに来い。絵図が欲しいなら円山応挙のところへ行け!」ってことを言いたかったんでしょう。
ま~大きな口を叩いたもんです、当時の京都画壇番付表(『平安人物志』人名録安永4年版 )
不動のNO1は円山応挙、そして伊藤若冲・与謝蕪村と続き蕭白はズッ~と下の15番目でした。
さて実際のところは?、、、
今回ご来場頂きました皆様にご判定賜るのも一興かと存じ、円山応挙作・張良図を同時展示致します。これぞ"美術のおまけつき"
昨年十二月の歌川国芳展・今年一月の河鍋暁斎展、に続き第三弾の肉筆江戸絵画企画でございます。
前回同様にガラス越しでは無い状態で作品を展示致します。
どうぞこの機会に心ゆくまでジックリと蕭白堪能して頂ければ幸いでございます。
(入場料無料)
注:今回の展示作品中以下の二作品は、以前美術館で展示した物です。
[関羽図] [その後の蕭白と周辺 1992年] ・三重県立美術館
[三重の近世絵画 1998年] ・三重県立美術館
[養蚕図] [特別展 曾我蕭白 2005年] ・京都国立博物館