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 川崎徹「あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった」

朗読会

2017.5.27(土)

川崎徹(かわさきとおる)

1948 年、東京都生まれ。

1971 年からCM ディレクターとして活躍するようになり、金鳥の「ハエハエカ

カカキンチョール」や富士フィルムの「それなりに」など数々の流行語を生

み出すヒットCMを手がけた、1980 年代の広告クリエーターブームの立役者の

一人。

1985 年放送開始の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にもレギュラー出演。

CMディレクターやテレビ出演などの仕事は2000 年からやめており、現在は自

宅周辺に暮らす猫たちの世話と小説執筆に専念する日々を送る。

2010 年、『猫の水につかるカエル』で、野間文芸新人賞の候補に挙がっている。

 21 世紀における私小説は近代のそれとはちがって、ただ己の内面を実直に率

直に愚直に描くという“基本”から逸脱する、ユニークな意匠を凝らした作品

が少なくありません。

 生から死へと少しずつ在りようを変えていく父親、そのさまをじっと見つめ

ている著者本人を思わせる〈わたし〉の意識の流れを、恬淡と美しい理知的な

文章で綴った『彼女は長い間猫に話しかけた』以来、小説を書くことで、「死」

と「記憶」に関して思考を深めてきた作家、川崎徹はそんなネオ私小説の重要

な書き手の一人と、わたしはとらえています。

 たとえば、『最後に誉めるもの』の表題作。大学で教える〈わたし〉が出した

「最も古い視覚的記憶を語る」という課題にこたえ、ある女子学生が生家の間

取りを発表する場面から、この短篇は始まります。〈わたし〉は講義のなかで、

複数の思い出が混然となったり、覚えておきやすい形でアレンジして保管され

がちな記憶のメカニズムについて言及。自身もまた自宅に帰ると、小学3年生

まで過ごした家の間取り図を書いてみるのです。

 すると、亡くなった母親が1/2サイズで出現。記憶を補完してくれたり、〈わ

たし〉が飼っている猫と会話をしたりする。それを不思議とも思わないまま、

語り手は間取り図を完成させながら、懐かしい生家のなかへと入りこみ、やが

て小説の中では「今・自分の家」と「かつて・育った家」がその境界線をなく

していきます。こうしたリアリズム文学としての私小説のルールを大胆に逸脱

する、新しい、どこかユーモラスな声(文体、のようなもの)を得て、死と記

憶をめぐる著者の思考は、より深みを増しながら、しかし同時に軽みをまとい、

もぐっていきながらふわふわと空にのぼっていくんです。

〈若い頃わたしの内は自分ひとりの居場所だったが、齢を加えるにつれ、先に

逝った者たちで賑わいを増している。/わたしは彼等の生きる場所だった。逝

った者たちを生かし続けるためにも、一日でも長く生きなければならないよう

な義務感もある。/否。母は死後も尚、自身の内に祖母を生かしているのだか

ら、わたしの死後も故人たちはわたしの内に居続ける。そう考えてよいのだ〉

 亡き母と対話するなか生まれる言葉ですが、他の作品を読んでもらえればわ

かるように、川崎さんの小説の中で〈わたしの内に居続ける〉のは、故人ばか

りではありません。故猫の記憶もまた父母のそれと同じように丁寧に慎重に扱

われるのです。

 川崎徹は過去を物語ることで、刻一刻と死につつある時間を弔っている。

刻一刻と輪郭を失いつつある死者を弔っている。弔いつづけることで死者を忘

却の淵から救い、と同時に、川崎さんもまた自らが物語る死者の記憶によって

慰撫されもする。彼岸と此岸がそんなふうに手を差しのべあっていることを教

えてくれるのが、わたしにとっての川崎徹という小説家なんです。

 今回、川崎さんが朗読してくれるのは、できたてほやほやの最新長篇『あな

たが子供だった頃、わたしはもう大人だった』。三人称小説です。新しい声が語

る、これまでとは少し変化した死生観。長らく絶版で読むことができなかった

『彼女は長い間猫に語りかけた』も併録されているので、併読するとその変化

が如実にわかるようになっています。(文責・豊崎由美)

美術のおまけ

開催日時

2017年5月27日 土曜日 18時開演(17時00分開場)

ゆっくり展示美術をご覧いただけるよう、1時間前の開場です。

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